講演会(ご案内・ご報告)

第7回講演会

プログラム3
「がんとの付き合い方」
NPO副理事長
丸山 茂雄


1.私の食道がん-発症から初期治療+丸山ワクチン

安藤 由朗先生  こんにちは。丸山です。

 丸山千里の長男なんですけど、私は医者になりませんで、簡単に言うと医者になりそこないまして、弟は医者の試験は受けたんですけど、当人が医者があんまり好みじゃないということでやめたもんですから、丸山家には医者がいないということになっちゃいました。
 私、医者にならず全く別の方向に進んだんですが、一昨年11月、ちょうど丸2年ぐらい前ですね、のどに食べ物が引っかかって、「あ、やられたな!」という感じで、結局医者にならなくて患者になっちゃったんですね、がんの。
 で、そのときに、もう瞬間的にこれはがんだとわかったんで、我が家には丸山ワクチンを常備しておりますので、私はその日から丸山ワクチンを打ち始めたわけです。
 それから検査に行きました。私の本家には医者はいないんですが、周りには医者がぞろぞろいるんで、その中に1人耳鼻咽喉科の女医がおりまして、それに、「おい、これは喉頭がんじゃないか、めし食っても引っかかるから」と言ったらば、「まあ、とりあえず調べてみましょう。」というんで、最初、一番簡単なレントゲンで撮ったら、いや、のどは大丈夫だけど、もっと下に、食道のほうにありますよと。
 食道がんというのは大変ながんだからこれは専門の病院に行ったほうがいいとその医者が言うんで、専門病院に行こうと手続しているときに、食べ物が食べられないどころじゃなくて、水が飲めなくなっちゃったんですね。で、もう結構青ざめて専門病院に入りました。
 その耳鼻咽喉科の医者も、それからその兄弟の内科の医者も食道外科に行けということなので、食道外科に行きましたら、うーん、これはもう立派な食道がんで、6センチの腫瘍がのどを見事にふさいでいると、これは手術しなきゃいけませんねと言われました。いろいろ検査したら、右肩のところと腹部の胃の横に転移もしている。そうであればもう手術は遅いと。基本的には抗がん剤と放射線の治療にしなさいということになりまして、ああ、そうですかと。
 今、ああ、そうですかって申し上げますが、結構、いやまいったなあ……で、先生に聞いて、「どれぐらいもちますかね。」と言ったら、「うーん……。」まあ言わないんですよね。あんまり言わないんだけれども、私、ずっと大きい会社に勤めていたんですが、60を過ぎて定年でやめてから、何を血迷ったか自分で事業を起こしまして、自分の小さい会社を持っているものですから、その会社をどういうふうにするかということも考えなきゃいけないんで、無理やり見通しを聞いたんですが、言わないけれども顔色でわかりますよね。「どれぐらいですかねえ。春?」って聞いたら、「うーん……。」「夏?」「うーん……。」っていう感じですよね。じゃ、春か。「じゃ4月? 3月?」そうしたら、おおよそ、その顔色を見ていると3月ぐらいという、そういう感じで、「えっ、あと4カ月だぜ。」という感じで。あわてて病院にみんなを呼んで、とりあえず店は閉めるわ、まあ、結局閉めなかったんですけれども、そういう処理をしたんですね。
 検査、検査で入院してから1カ月かかって治療が始まることになりました。放射線は2グレイの30回。それと抗がん剤を同時にやる。5-FUとシスプラチンを入れる。何のことかわからないもんですから、「わかりました、それで結構です。」で、そこまでのところ、丸山ワクチンを打っているわけですね。病院には実は内緒なんですよ。一般的に言うと、お医者さんに丸山ワクチンをやっていいですかと聞くといい顔しないだろうというふうに私は思っていまして、ノーと言われてやり続けるわけにいかない。だけど黙ってやるんだったらいいだろう。サプリメントみたいなもんだからっていうんで、見つかったらサプリメントだと言い張るというトレーニングを一生懸命してですね、隠れて自分で丸山ワクチン、注射していたんですよね。
治療が始まるまでの1ヶ月、その間に何のことやら、急にのどのところに少しすき間があいて、最初は水も入らないので点滴やったんですけれども、水が飲めるようになったので点滴を外し、水が飲めるんだったら栄養剤が飲めますねってことで栄養剤をがんがん飲んでいたら、そうこうしているうちにおかゆが食べられるようになるわ、ご飯が食べられるようになるわ。
 でもね、これがワクチンのせいだとは私も思っていないんですよ。基本的には、食道がんがだんだん大きくなっていって、結局最後はもうほんの、とても細いところで食事が通っていたんで、だから何かの拍子にちょっと隙間があけば当然食事は通るわけだから、たまたま詰まっていたのがちょっとすき間があいたんだろうというふうに思って、まあ、それで放射線と抗がん剤の治療に入りました。
30回の60グレイを限度いっぱいやって終わり。私が放射線当てたのは、原発の大もとの食道と右肩だけなんですよ。腹のほうは断ったんですよね。胃に放射線当てると何だかこう、胃が焼けただれてぐちゃぐちゃするんじゃねえかって、もう恐ろしく、医者の息子なんですけど、私、医者じゃないですからね、単なる素人なんで。胃に放射線を当てるのは断って、とても放射線の先生は残念そうな顔したんですけど、断固私は断った。3月までっていうんだったら、基本的にはもう終わりなんだからというふうに思っていて。で、食道が通って最後に焼肉でも一発食って、それから死にてえなあみたいな、そういう感じだったんですよ。
それから、2回5-FUとシスプラチンという抗がん剤の治療が終わって、お医者さん「もうとりあえずやることないんだから、家に帰りなさい。」それが2月ですよね。春、3月の末あたりだって言われて、「もう2月なのに、まいったなあ。」でも気分とすると、一応元気なんですよ、そこそこ。でも、まあ一応家に帰ってですね、洋服捨てたり本捨てたり、CD捨てたり、いろんな自分の整理をしました。
で、 そうこうしているうちに二、三週間たって、一応治療したんだから結果見てみようじゃないかというんで、病院に行って検査してみたらですね、消えているんですよね。病理検査をやっても一応がんは見えねえよという話で。肩のリンパ節のところも、消えているわけじゃないけれど、小さくなってます。胃のところの転移も小さくなってます。で、それは抗がん剤が効いたと。抗がん剤は全身ですから。でも放射線やっているのは食道と肩のリンパ節だけだから。胃は放射線当ててないけど小さくなっている。うーん、これはなかなか微妙だよな。丸山ワクチンも効いているんじゃねえか。まあ、そう思いますよね。
 その後、当然丸山ワクチンのこと病院知りませんから、「今までやったのもうまくいったんで、放射線はもうできないから、抗がん剤の5-FUとシスプラチンはもう1回やりましょう。」断る理由ないんで、「結構です。やりましょう。」というんでやったんですよね。その後また検査しました。「いいですね。相変わらず出てない。」それから、ますますリンパ節が小さくなっている。「こんなにうまくいっているんだったらもう1回やりましょう。」というんで、また5-FUとシスプラチン。うまくいっているものを断るというのも何なんで、私も「いいですね。」っていうんで、またそれをやりました。で、また調べました。「あ、いいですね。」で、また「もう少し。」っていうんで、「いえ、もう勘弁してくれ。」と言ったんです。だんだん副作用が強くなってきて、もう……で、そのとき、どういう気分ですかね。気分とするとまだうまくいっているような気分といかないような気分と、混乱しているところがあったんですけど、とりあえず断りました。
 断ったとき、自分の気分としては丸山ワクチン効いてんじゃねえかなと思って、5-FUとシスプラチンのあの気持ち悪い副作用をこれからもやるよりは、とりあえず丸山ワクチン効いているんだったらそっちへ行っちゃえみたいな。もう抗がん剤4回つき合ったんだからいいだろうみたいな。それで、その後も、ほかの薬はどうですかという提案があったんですけど、それも断っちゃって。
 それで、そのときに初めて先生に、「丸山ワクチンの息子だっていうの知ってました?」って聞いたんですよ。そしたら、「ええ、うわさで聞いてます。」みたいな。「あ、そうですか。で、丸山ワクチンのこと知ってます、先生?」って言ったの。返事を聞かないうちに私、おっかぶせて言ったんですね。「先生、知ってるわけないよね。だって先生、丸山ワクチンがいろんな話題になったのは、あれは1981年のころだから、そのころ先生小学生だもんね。知ってるわけないし。」って言って、もう知ってないと私、断定だよね。で、先生もしようがなくて、「ええ、知りません。」て言うんですよ。じゃ、ていうんで、私は父の昔の論文とその資料を渡して、「これ読んでいただけません。」て言ったら、「ああ、わかりました、ぜひ読ませていただきます。」
 で、しばらくしたら何か言うかなと思って、もうそのころは丸山ワクチンを1日置きに注射する以外何も治療してないですよね。先ほどから言いましたように、僕は最初に入院したときの放射線と、4回にわたったシスプラチンと5-FUの、4日ぐらいだーっと注入するんですけど、それしかやってないわけで、その後はもう単に検査しているだけなわけですよね。
 で、次行っても次行っても、検査に行く度に先生、何も言わないわけ。だけど、僕も悔しいんで、何も言わないでほっといて検査だけやってた。そうしたらですね、去年の9月ぐらいにこのリンパの部分もきれいに消えたんですよね。もう見事に消えて、とりあえず、とりあえずですよ、治ったと僕は今も思っていませんけど、とりあえずは消えたということになりました。そうしたら、先生がですね、「うん、ここまで来たんで、そろそろ丸山ワクチンおやりになったらいかがですか。」こう言うんですよ。
 それでね、僕も微妙な顔をしたんだと思うんですよね。そうしたら先生が、「でも、丸山さんおやりになってるんじゃないですか。」こういうふうに聞いたんですよ。で、僕も、やってたって言うのも失礼だし、やってないって言うのもうそになるし。ぱっと考えて、「ノーコメント。」お医者さんにノーコメントという乱暴な答え方するってのはなかなか勇気が要るんですけれども、それでそういう答え方をしました。で、現在に至っています。



2.再発の不安にどう付き合うか

 実は僕は患者だからね、やっぱり毎日再発におびえているんですよ。食道でしょう。やっぱり食べ物の滑りが悪いわけ。いや、普通に食べられるんだけど、あ、きょう何となく滑りが悪いような気がする、「再発かな?」みたいな。そんな気になるわけですよ。きのうきょうも滑りが悪いんです、実は。だから、ああ、まいったなあ、そうかもしれないなあというふうに思っているんですが、これが、きょう現在の私で、これが患者の体験談。
 きょうこういうところに伺って皆さんにお話しするって考えたときにですね……あ、ちょっと待って。おれ何時までしゃべっていいんだっけ。
 10分ぐらい、はい。じゃあ、あと10分しゃべりますね。
 お集まりの皆さんは、患者さんか身内に患者さんをお持ちの方かご友人か。まさかね、趣味でがんの研究なさっている一般の方というのはあんまりいらっしゃらないと思うんで、こんな体験談ばかり聞いたってしようがない、ちっとはまじめな話をしなきゃいけないといっても、私は医者じゃないから、専門的な話は何もできないわけで。
 でも、考えることがあるんですよ。先ほどから何度もお話ししているように、基本的には再発におびえているっていうのが患者ですよね。そもそも、僕は食道外科に行ったんですよね。だけど、結局進行していたから食道外科で手術じゃなくて、放射線と抗がん剤ということになった。
 後から本読んでみたら、それラッキーで、もともと食道がんの手術っていうのは極めて難易度の高い手術で、手術で死ぬよりも、余病を併発して死ぬという率が物すごく高いというふうに本に書いてあるわけ。
 じゃ、今のがんというのがいったいどういうふうになっているんだろう、学問的じゃなくてもいいんだけど、みんなはどういうふうに思っているんだろうというんで、ばーっと本をたくさん読みました。そもそも、がんだって言われたときに本を読んだわけじゃないですよ。もうよくなってから、さて、おれは何でうまく生き延びたんだろうっていうんで本を読みはじめたんです。
本はいろんな種類ありますね。まず外科医の書いた本。それから腫瘍内科の、つまり抗がん剤の専門家の本。放射線科の本。一般のお医者さんの本。それを全部ひっくるめて、医療ジャーナリストの書いた本。それから患者さん。患者になったお医者さんの本。それから、患者になったジャーナリストが書いた本と、患者になった科学者の書いた本。そのほかに代替医療の本とか、いろいろあるんですけど。
 まずたまげたのは、お医者さん、専門家。めちゃくちゃみんな仲悪いということがわかった。外科のお医者さんが昔はがんというのは、ばっさばっさ切っちゃうっていうことが基本だったんだけど、それは余りにも乱暴過ぎるんじゃないかというクレームを腫瘍内科の先生たちや放射線の先生が言い始めた。外科よ、あんたはあんまり切り過ぎるんじゃないか、やり過ぎだぜ。まあ、そういう感じですよね。
 だけど、一般的にがんになったらどこに飛び込むかというと、まあ、外科が多いわけですが、最近は標準治療というマニュアルがあって、それでいうと、僕みたいにうんと進行しちゃっているがん患者は外科では扱わないというのがある。だから私がこんな末期じゃなくてもうちょっと手前のほうだと、外科の先生張り切って手術しちゃっているわけですよね。でもね、なかなか難しいですよね。外科の先生ってきっぷがいいじゃないですか。ばさばさ切るっていうことをおやりになるから男っぽくて。内科の先生は結構、ぐちぐちした、ちょっと暗い先生が多いんだけど、外科の先生って明るくてね、僕は外科の先生と気はすごく合っていたんですよ。ああ、この先生に切られるんだったらいいやと思ったんだけど。でも切られるっていうのはやっぱりよくないということがわかった。
 で、同じように放射線の先生が全部いいわけじゃなくて、頑張り過ぎると放射線かけ過ぎて焼け死んじゃうっていうのがあるらしいんですよね。同じように抗がん剤も、たくさん抗がん剤を浴びせるように治療されて、それでやられちゃうというのがある。
 ですから、もう結論としては、初期治療は運だ。ここにもし患者さんがいたとすると、初期治療を何とか生き延びてここまで来れたんだから、もう完全に運がいい。僕なんか運がいいですからね。
 だけど、基本的には、初期治療が終わると今の私みたいに、お医者さんはやることないわけですよね。再発予防に関する治療方法というのは何もないんだから、今のところ。再発しそうなとか、治ってないとかっていうのであれば、そこのところにおいて治療があるんですけど。先ほどの篠原先生も、もう今は再発におびえてないですね。「でも20年前はおびえていた?……そうでもない。大胆だなあ。」
(篠原先生:「いや、おびえてました。」)
 「ですよね。」だけどやることがないわけですよ。先ほど篠原先生のお話にもありました、神戸大学の中井久夫先生も、基本的には再発をどうしたもんかというふうにお書きになっている。初期治療を生き延びた運のいい人が、山ほどいるわけじゃないですか。ところがその後再発するまで何となくおびえるだけで毎日過ごすのはつらいっていうんで、しようがなくてみんながやっているのは代替医療で、何だっけ、サプリメントで……僕はもう自分が飲まないもんだから。アガリクスとか、プロポリスとか、ひつまぶし。違う、ひつまぶしは名古屋の料理か。(笑)何とかまぶしとかっていうの、あるじゃないですか、ねえ。ああいうのをやってみたり、いろんな健康食品を食べたり、皆さん一生懸命やっているわけですよ。その部分は医者もほとんど何の関係もなくほったらかし。
 結局、がんの医療というのは三大医療と言って、外科で切るか、放射線かけるか、抗がん剤、この3つですよね。一応切っちゃった後はがんはないんだから、外科はもう用がない。外科が何したいっていったって、がんがないものは何もしようがない。
 つまり初期治療の終わった後、再発すれば、それが治るかどうかということは別にして、また手術や抗がん剤治療というのもあるんですけど、通常はお医者さんは何もやることがないのです。お医者さんは患者に何もしてくれないのです。



3.丸山ワクチンを打っているという安心感

 で、そこに丸山ワクチンがあるわけですね。私なんかも今、1日置きに打っていますよね。
 何て言うのかな、お守りみたいなもんですよ。そういうふうに言うと篠原先生に怒られちゃうし、亀谷先生に怒られちゃうんですけど。科学的な根拠はもちろんあります。だけど、一番大きいのはやっぱりお守りみたいなもんですね、これを打っているからおれは大丈夫なんだと思えることです。
 そうすると、大丈夫だと思っているから免疫力が上がるみたいなこともあるじゃないですか。だって、がんの最大の理由は何かというとストレスだって説があるんですよね。私もそうなんですよ。事業がうまくいかないもんだから。この会社どうしたもんかなというふうに思っていたら、ストレスになってがんになったんじゃないかなと思っているわけです。で、周りの人に聞いてみると、大体がんになった人、みんなストレスを持っていますよね。ここにいらっしゃる方だって全員ストレス持っていますよね。何もないっていう幸せな方は100人に1人ぐらいしかいないわけで。がんが再発するんじゃないかというストレスで再発するというの一番ばからしいんで、私は丸山ワクチンやっているんで大丈夫なんじゃないかと……、おびえているんですよ。でも、何もやっていない人に比べれば、多分50%ぐらい、ストレスは下がっていると思うわけです。
 私は丸山ワクチンが特効薬で、これが効くんだからぜひ皆さんおやりになったほうがいいですよと言う気はありません。身内ですから本当は言いたいんですけれども、それを言うと何だかいかがわしいじゃないですか。(笑)だからいかがわしいことは余りやりたくないんで、そんなことは言いませんけれども、私はとりあえず元気にやっています。



4.脚気の原因決着まで40年、丸山ワクチンはすでに30年

 先ほど亀谷先生も、それから篠原先生もおっしゃったんですけど、医者の世界って難しくて。でもね、1981年に厚生省がノーと言って以来、もうかれこれ30年たってますけれども、丸山ワクチンが生き延びているということ。それは、どこかでやっぱり聞きつけて、これは自分にとってプラスになるんじゃないかというふうに思っていらっしゃる患者さんや、あるいは何人かのお医者さんがいるわけです。
「白い航跡」という本があって、これは慈恵医大を創立なさった高木兼寛という先生のことを吉村昭さんという小説家がお書きになっているんですけど、この方は脚気の原因を見つけた人なんですよ。当時ビタミンというのが発見されていなくて、脚気を治すには麦飯を食っといたほうがいい、麦飯があれば脚気にはかからないというのを見つけた。この高木という先生は海軍なんですよ。
 一方で、そんなばかなこと言ってんじゃない、脚気は病原菌から起こるんだって主張したのが陸軍と東大なんですけど。日清戦争のときに海軍は麦飯食って脚気がなくなった。ところが陸軍は麦飯食わないで白米食ってたわけですよね。兵隊さんに麦飯なんて大変失礼だ、白米をたらふく食わして。たらふく食ったらみんな脚気になったわけですよね。それで、麦飯を食ったほうが絶対脚気にならないからって海軍が言っても陸軍は言うこと聞かない。学問的根拠がないとかって。それ誰が言ったかというと、陸軍の医者のトップは、森鴎外。文学者の森鴎外は明治の半ばのころ陸軍の軍医のトップなんです。それでこの森鴎外が脚気は病原菌が原因だと言い張ったのですね。
 結局ビタミンが発見されたのが大正12年ぐらいなんですよね。だから、およそ脚気が麦飯で何とかなるっていってから、ビタミンの発見で決着するのに41年かかっているんですよ。41年。そのうちの多分三十七、八年は、麦飯で治るっていうのに陸軍は麦飯を使わなくて、日露戦争のときに白米を送り込んで、それで陸軍の兵隊は死にました。陸軍の203高地攻撃。その203高地でばたばたみんな日本の兵隊が死ぬんですけど、戦争で死んだのは3万8,000人です。脚気で死んだのが2万8,000人ですからね。
 それでさすがに陸軍大臣怒りました。でもね、森鴎外はしぶとい。日露戦争って1905年とか6年ですよ。結局、陸軍と森鴎外が黙ったのが1920何年だから、その後まだ20何年間、構わず白米でやっていた。
 それ以来、日本の医学界には大変な学閥闘争が起こっている。現在に至るまでそれになっているのは、僕はその本を読んでわかったですね。ええ。
 話長くなっちゃうから、もうこれでやめる。がんと関係なくなっちゃったんですけど。
 脚気みたいなもんでも解決に40年かかった。丸山ワクチンも1981年から現在に至るまで、もうかれこれ30年になりますが、そろそろ再評価をされる時期に来ています。お守りみたいなもんだという非科学的なことを私申しますが、その裏には亀谷先生、あるいは篠原先生のおっしゃるように科学的な裏づけがあるということを思い出していただいて、簡単に言えば丸山ワクチンを使用すると元気になるっていう、こういうシンプルな考え方でおやりになることを、私はお勧めいたします。……以上です。(笑)失礼しました。(拍手)