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No.1

『結核菌体抽出物質および腫瘤組織抽出物質による悪性腫瘍の治療について(予報)』


1.結核菌体抽出物質による悪性腫瘍の治療について
On the Treatment of Malignant Tumor with an Extract from Tubercle Bacilli

日本医科大学名誉教授 : 丸山千里 Chisato Maruyama

「日本皮膚科学会雑誌 第76巻 第7号 (昭和41年7月)」より、同誌の許可を得て転載したものです。



 われわれは昭和19年結核症のワクチン療法について研究を開始し、現在もなお続行中である。

 ついで、昭和22年本研究に並行して癩(以下、現在の表記に従いハンセン病とします。)のワクチン療法についても研究をはじめ、これまた現在続行中であるが、われわれが結核症の研究とハンセン病の研究とを並行的に進めている主な理由は、両者の病原菌がいずれも抗酸菌に属し、細菌学的にもまた免疫血清学的にもかなりの共通点があるところから、並行的の実験が相互の参考になり研究の進展に役立つと考えたからにほかならない。

 われわれの結核ワクチン(結核菌体抽出物質)が皮膚結核症、肺結核症ならびにハンセン病に対して化学療法に求められないような効果を示すことは、すでに日本皮膚科学会雑誌74巻3号(昭39)の誌上で詳細に報告した1)〜4) 。

 結核ワクチンがハンセン病に対しても有効なことは、結核菌と癩菌の近縁関係を考えると一応肯定できるが、一方われわれは結核ワクチンが結核症およびハンセン病とは成因が全く異なっている悪性腫瘍とくに癌腫に対し、癌細胞の増殖を抑制するという興味ある事実をみいだしたので、ひきつづき多数の症例についてその治療効果を検討中である。

 しかしながら、癌腫に対するその作用機序がどのようなものであるか説明することは、結核症ならびにハンセン病の場合とちがって容易ではない。したがって、この点については今後さらに研究をかさねて解明したいと思う。

 さて、われわれは専門科目の関係から皮膚癌をとり扱っているが、皮膚癌は外部から肉眼で観察できること、組織標本による検査も容易であること、また、治療効果が経過をおって直接に検討できることなど他の部位の癌腫に比較して研究上はかり知れない程の利点をもっているが、残念ながらわれわれの外来を訪れる皮膚癌の患者はきわめて少数で年間数名をかぞえるにすぎない。それ故癌腫の治療に関する研究は他科の協力にまたなくてはならないのが実状である。

 そこで、われわれは皮膚以外の部位の癌腫に関心をもち、ワクチンの臨床実験を他科の協同研究者に依頼し、間接的にその治寮効果を検討するという方法をとっている。

 ところで、われわれのワクチンすなわち結核菌体抽出物質は、臨床的に使用した場合、副作用の全くないこと、とくに多くの制癌剤に共通してみられる白血球減少作用が全然認められないこと、局所所見の軽快ないし全身状態の好転することなどから最近受療希望者が薯しく増加してきたことは事実である。

 しかるに、われわれは本研究について、これまでなんら報告を行なっていないため、最近研究内容について説明を求められることが次第に多くなり、一応これにこたえざるをえないことになった。
 前にものべたように、われわれの教室においては皮膚癌の患者があまりに少なく、臨床実験を充分行なえないところから、抽出物質の濃度、使用量、注射の方法(皮内、皮下、静脈内、動脈内)、注射間隔等の重要事項について現在なお検討中である。

 したがって、発表の時期として必ずしも適当とは思われないが、上述の事情から研究開始の動機ならびに研究成績の一部について報告し、近く発表を予定している原著の予報にあてたいと思う。



1.結核ワクチン(結核菌体抽出物質)を悪性腫瘍の治療に応用するに至った動機

 〔A〕われわれの結核ワクチン(結核菌体抽出物質)が皮膚結核症ないし肺結核症あるいはハンセン病に対し有効なことは、抗原、抗体の特異的の結びつきを考えると免疫血清学的には一応肯定できる。

 ところが、この結核ワクチンが酒さ注aに対し、きわめて有効なことが東大皮膚科水野・吉田9)両氏によって報告された。
その際氏らは、本症の原因は結核症とは全く異なっているが、原因はともかく治療成績からみて、結核ワクチンすなわち結核菌体抽出物質には、肉芽腫の発生を抑制する作用すなわち抗肉芽腫作用があるのではないか、との見解をのべている。つまり結核ワクチンには間葉性細胞の異常増殖を抑制する作用があるのではなかろうか、という考え方である。

 氏らの所説を裏がきするかのように、その後結核ワクチンのWegener’s granulomatosis (進行性壊疽性鼻炎)に対する治効作用(水野・小林)6)、(野中・中島)15)ならびに淋巴球腫に対する治効作用(原田・福本)7)が発表された。

 一方、われわれは慢性肉芽性炎症である集簇性座瘡(しゅうぞくせいざそう)注bと良性上皮性腫瘍に属する尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)注cの合併例(両者とも高度の病変で顔面に発生)に結核ワクチンを使用したところ著しい効果を示し、両者とも相ついで治癒するに至った。

 その後ひきつづき尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)、青年性扁平疣贅の患者多数を治癒せしめることに成功した。

 これらの事実は結局結核ワクチンが慢性肉芽性炎症すなわち間葉性細胞の異常増殖を抑制したばかりでなく、上皮性の良性腫瘍すなわち外葉性の組織細胞の異常増殖をも抑制したことを意味する。

 そこで、一般論として、結核ワクチン(結核菌体抽出物質)には組織細胞の異常増殖を抑制する作用があるのではないか、ということがいえそうに思われた。

 ここにおいて、われわれは結核ワクチンをさらに良性腫瘍のみならず悪性腫瘍の治療にも応用してみようと思いたち実験を開始したわけである。
〔B〕つぎにのべる事柄はもとより想像にすぎないが、これによって上にのべたわれわれの考えが一層強化されたことは確かである。従来、われわれが10数年にわたってかよっていたハンセン病の療養所において癌患者の発生は意外なほど少数であった。
 しかるに、最近各地のハンセン病療養所の癌患者の数は年とともに増加の傾向にあることが明らかになってきた。福士・李・佐々木・丸山12)(1964) 4氏の剖検によるハンセン病患者の死因に関する研究によれば、大風子油時代(明治43〜昭和12)の悪性腫瘍死亡率が 1.5% (18/1200)であるのに対し、化学療法時代(昭和34〜36)の死亡率は 19.6% (57/291)であったという。
 このような現象について、その原因を治癩剤とくに化学療法剤の発癌作用に帰するものもあるが、また治癩剤の進歩によってハンセン病の死亡者が次第に減少し、いわゆる癌年令に達したものの数が増加した結果であろう、との意見もかなり有力である。しかし、それにしてはあまりにも多すぎるという感じを否定することはできない。
 そこで考えられることは、治癩剤の強力な抗菌作用によって、癩菌が患者の体内で死滅したためか、あるいは菌が減少して、きわめて少数になったために、癌組織の発生および増殖に適応した状態が生じたのではあるまいか。このように考えてくると癩菌の存在、とくにその菌体成分のあるもの、あるいは代謝産物中のある成分が、癌腫の発生、増殖を抑制していたのではなかろうか、という考えが生じてきたのである。  また、福士・佐々木・菅井13)(1965) 3氏の報告によれば、ハンセン病患者中癌腫のために死亡したものは、その殆んど全例がハンセン病の吸収期ないし静止期(略治期)のもので、進行期(活動期)のものからは1例もみられなかったということである。上記の報告は、われわれの考えを裏づけるきわめて有カな参考資料といわなくてはならない。一方、われわれが10数年来、訪れている各地の結核療養所においても、従来癌患者の発生はきわめて少数であった。
 また、耐性菌の出現によって、近年難治の患者が多くなり、その結果として、老人性結核すなわち癌年令層の結核患者が増加しているにも拘らず、これらの患者の間に癌腫の発生が、とくに増加したという事実は全く認められないという。

 以上の事実は、たまたま前にのべたハンセン病の進行期(活動期)の患者に、癌腫の発生が殆んどみられなかったという事実と共通した点があるように考えられる。

 そこで、結核症の場合も、ハンセン病の場合と同様、結核菌の存在、とくに菌に由来する特殊の物質によって、癌組織の発生、増殖が抑制されているのではなかろうか、という考えが強まってきたのである。

 ところで、ハンセン病療養所においては、癌患者が増加の傾向を示しているのに反し、結核療養所においては、その傾向が認められないという一見矛盾した現象がみられるのであるが、前者の場合は、患者が治癒の段階に達しても、退所すなわち社会復帰に困難な事情があるのに対し、後者はその殆んどが未治の患者であることを考えると、両者の間に相違の生ずるのは当然のことと思われる。

 それはともかくとして、われわれは前項Aとは別個の観点から、癩菌および結核菌由来の物質に制癌性があるのではないかと想像し、癩菌の培養の不可能な現在、とりあえず結核ワクチン(結核菌体抽出物質)を用い、悪性腫瘍とくに癌腫の治療を行なってみようと、思いたったわけである。



2.実験材料

2-1.使用結核ワクチン

 われわれが現在良性ならびに悪性腫瘍に対して使用している結核ワクチンすなわち結核菌体抽出物質(人型結核菌の菌体成分、とくにアルコホル不溶性、水可溶性の成分)は、皮膚結核症、肺結核症ならびにハンセン病の患者に対し、現在使用しているワクチンCよりもむしろワクチンAに近い性状をそなえている。対腫瘍用結核菌体抽出物質の抽出法ならびに免疫血清学的性状その他については追って詳細に報告する予定である。

 結核菌体抽出物質の毒性……健康動物(家兎、モルモット、マウス)について毒力を検したが、毒性は全く認められなかった。
実験的悪性腫瘍に対する治療効果
純系マウスを使用して、実験的悪性腫瘍(滝沢癌、エールリッヒ腹水癌)をつくり(1)移植と同時に、あるいは、(2)移植後一定期間をおいて、いいかえれば腫瘍の発育、増大をまって、結核ワクチンによる治療を行なった。
すなわち、ワクチンの濃度、使用量、注射間隔等をそれぞれ変更し、また各種の組み合せをつくり比較検討してみたが、これまでのところでは、(1)、(2)とも良好な成績をおさめることはできなかった(昭和33〜34丸山・福本・浦辺)。
そこで、われわれはマウスの実験的悪性腫瘍が腫瘍発生より斃死に至るまでの期間があまりに短いところから、実験的悪性腫瘍とひとの癌との間には本質的にかなりの相違がある(例えば実験的悪性腫瘍の方がひとの癌に比較して悪性度が高いのかも知れない)と考え、動物実験の成績にとらわれずに臨床実験を行なう方針をとり、新たにワクチンを調製した場合には、その都度健康動物について一応抽出物質の毒性を検した後、ごく微量より人体実験を行ない、経過を観察することにして現在におよんでいる。


2-2.供試患者

日本医科大学付属病院皮膚科外来患者中より選んだもので、昭和40年1月より41年2月まで1年2ヵ月間の成績である。



3.注射方法

 良性ならびに悪性腫瘍に対する結核ワクチン(結核菌体抽出物質)の濃度、使用量、注射間隔等は現在なお検討中であるが、今回の報告は濃度については、注射開始後10ないし15回まで1γ/cc。その後は0.1γ/ccを注射して経過を観察した成績である。また、注射間隔については、毎日連続注射、隔日注射、週2回注射、週1回注射および注射休止期間の設定等が治療経過にどのような影響をおよぼすかについても検討中である。



4.実験成績

 われわれの悪性腫瘍の治療に関する研究は、酒さに対する結核ワクチン(結核菌体抽出物質)の治療がいとぐちになって関始されたものであることは前述したとおりである。 そこで、酒さより疣贅をへて癌前駆症ならびに癌腫にまでおよんだこれまでの研究経過、とくにそれらの治療成績についてのべてみたい。


4-1.酒さ(第2〜第3度)

 酒さは各種の治療に抵抗し難治の疾患とされているが、これに対し結核ワクチンがきわめて有効なことは、水野・吉田9)両氏および桜根10)氏らの指摘しているところで、われわれの成績もまたこれに一致している。

第1表 酒さ(第2〜第3度)

番号 姓名 年令 性別 診断 発病 注射
回数
効果
1片 ○19第2度4年前32治癒
2○ 村18第2度4〜5年前24治癒
3堀 ○51第2度5年前62略治
4○ 藤58第3度4年前28略治(治療中)
5細 ○56第3度24年前47軽快(治療中)
6○ 野27第2度4年前13不変(治療中)
7原 ○24第2度3年前14軽快(治療中)
8○ 橋19第2度1年前22軽快
9内 ○17第2度1年前15著効(治療中)
10○ 上17第2度4年前24著効(治療中)

(注射方法ー毎週1回、皮下注射)


第2表尋常性疣贅および青年性扁平疣贅







発生
部位
注射
回数
注射
方法
経過
1○ 藤21尋疣約半年前左右手指背
12〜13個
15最初5回連日、以後
隔日又は2〜3日間隔
注射休止時不変、その後10〜14日で消退治癒
2近 ○45尋疣1年前左右手指背
5〜6個
15隔日又は2〜3目間
隔(不定)
注射休止後約20目で
全部消失
治癒
3○ 藤50尋疣数年前左側手掌
1個
5隔日又は2〜3目間
隔(不定)
注射休止後約30日消
失に気付く
治癒
4大 ○24尋疣不詳左側手背
5〜6個
21最初3回連日、以後
隔日又は2〜3日間隔
注射休止後20日で消退治癒
5○ 川22尋疣約半年前左側手指手掌24最初5回連日、以後
隔日又は2〜3日間隔
注射休止後3〜4週間で消退治癒
6浅 ○35尋疣不詳下顎部
3〜4個
10隔日注射7回注射後すでに消退治癒
7○ 川44尋疣4年前顔面・耳殻
周囲、無数
40隔日注射注射休止後45日で消失治癒
8只 ○20尋疣2年前顔面無数25隔日注射治療中消失治癒
9○ 山5尋疣不詳顔面13隔日注射治療中消失治癒
10五 ○11尋疣4年前左側膝蓋部122〜3日間隔8回注射後消失治癒
11○○川23尋疣8ヶ月前顔面、無数92〜3日間隔治療中不変
12池○○18青疣不詳右側手背多数10隔日注射注射休止後7日で消退治癒
13○ 浦26青疣1ヶ月前顔面、無数142〜3日間隔治療中消失治癒
14田 ○33青疣1年前右側手背82〜3日間隔治療中消失治癒
15星 ○3青疣3ヶ月前顔面、無数52〜3日間隔治療中不変
16星 ○28青疣約半年前顔面、無数152〜3日間隔治療中不変
17○ 田27青疣1年前顔面、無数162〜3日間隔治療中消失治癒
18橋 ○26青疣2年前顔面、前腕122〜3日間隔3回注射後殆んど消失治癒
19宮 ○13青疣5年前手背、無数62〜3日間隔注射休止後1ヵ月消
失に気付く
治癒
20宮 ○16青疣1ヶ月前左側下肢42〜3日間隔注射休止後1ヵ月消
失に気付く
治癒
21○ 田31青疣1年前顔面・手背無数52〜3日間隔治療中消失治癒
22佐○○19青疣2年前顔面、無数242〜3日間隔治療中消失治癒
2319青疣4年前顔面、無数222〜3日間隔治療中消失治癒
24松 ○38青疣半年前顔面、頚部無数172〜3日間隔治療中不変
25○ 岡8青疣1年前顔面92〜3日間隔治療中略治

備考:尋常性疣贅は尋疣、青年性扁平疣贅は青疣と略す。


第3表 癌前駆症







発生部位 注射回数 治療効果
1佐 ○21疣贅状表皮
発育異常症
3年前頚部,胸部,背部毎週2回
43
治癒
2○ 田70Bowen氏病1年前右側前腕,背部,左側大腿毎週2回
20
軽快
(治療中)
3浅 ○57疣贅状表皮
発育異常症
5年前両側前腕,下腿毎週2回
28
著効
(治療中)

第4表 皮膚癌







発生部位 注射回数 治療効果
1藤 ○55基底細胞癌1ヶ月前顔面(鼻背)毎週2回
18
著効
(治療中)
2○ 塚75有棘細胞癌3年前顔面(頬部)毎週2回
6
軽快
(治療中)
3飯 ○66有棘細胞癌2年前顔面(頬部)毎週2回
38
略治

備考
第3例(有棘細胞癌)は右頬部に2個の拇指頭大、乳頭状の腫瘍を形成したものである。 ワクチン注射の結果そのうちの1個は腫瘤縮少して瘢痕治癒をきたし、他の1個も次第に縮少して略治の状態になったが、脳出血のため死亡し,病巣写真撮影の機会を逸した。


4-2.尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)および青年性扁平疣贅

癌腫のウィールス起因説はまだ結論に達していないが、結核ワクチン(結核菌体抽出物質)の上記疣贅に対する治療成績は、疣贅の原因がウィールスといわれているだけに、癌腫の治療についてもかなり参考になるものと思う。
第2表で明らかなように、尋常性疣贅は注射継続中に消失したものより、注射休止後若干の日数を経過してから消失をみたものが多い、そこで尋常性疣贅のワクチン療法は、注射を開始してから次第に軽快し、そのまま治癒に至るものと、注射休止後、しばらくの期間をおいて治癒するものの2つに大別することができる。
このような現象は皮膚結核症のワクチン療法の場合にもみられたことで、結核症と本症とは成因も異なっており、また作用機序も同一とは考えられないが、治療経過に同じような傾向のみられたことはまことに興味深いことに思われる。なお、青年性扁平疣贅の場合は、大多数の症例が注射継続中に消失をみている。



5.考按

 最近癌化学療法の進歩はまことにめざましいものがある、とくに動物の実験的悪性腫瘍に対しては、その効果が充分に期待できる化学療法剤も少なくない。

しかしながら、ひとの癌に対しては、患者の状態、腫瘍の発生部位、さらに腫瘍の薬剤に対する感受性などから一律にはいかず、稀に著効を奏したとの報告をみるだけである。

 制癌剤の研究が最近薬剤の大量投与の方向にむかっているのは、動物の実験的悪性腫瘍に対する有効量を人体に換算する時、その1/10にも達しない量が常用投与量とされていたことにも関連があると思う。

 ところで、上述の有効量に匹敵する大量の制癌剤を人体に使用することは、その副作用を考慮にいれるとおのずから限界が生じてくる。そこで、正常組織の障害を最少限度にとどめ、一方腫瘍組織に高濃度の薬剤を作用せしめることが、現在の制癌剤を活用する最良の方法であるということが考えられる。
このような観点から、制癌剤の局所投与法が多く試みられているわけで、腫瘍内注入法、動脈内注入法および局所潅流法などが検討されている。しかし、現在のところまだ研究の段階で、一般的に応用されるまでには至っていない。以上が癌化学療法の現況であるといえよう。つぎに、癌腫の手術的療法あるいは放射線療法は別として、化学療法に対応して考えられるものは免疫療法であるが、癌腫の本態が解明されず病原体の存否すら不明の今日免疫療法を論ずることはもとより容易ではない。

 われわれの悪性腫瘍の治療に関する研究が結核症のワクチン療法より出発しているとはいえ、これをもって簡単に免疫療法とみなすわけにはいかない。それはともかくとして、結核菌体より抽出した物質に組織細胞の異常増殖を抑制する作用のあることは、これまでの実験成績から考えて一応肯定できるように思う。
とくに、結核ワクチン(結核菌体抽出物質)が結核症およびハンセン病のような慢性特異性炎症はもとより尋常性疣贅、青年性扁平疣贅、淋巴球腫のような良性腫瘍ならびに疣贅状表皮発育異常症(癌前症)Wegener’sgranulomatosisないし癌腫のような悪性腫瘍およびこれに類するものに対して有効に作用するということは、まことに興味深いことといわなくてはならない。
ことに、結核ワクチン(結核菌体抽出物質)が化学療法剤とは全く反対に、きわめて微量を使用することによって病巣に著しい変化を与えることを考えると、その作用はかなり強力なものとみて差支えない。

 なお、ワクチンに副作用の全くないこと、多くの制癌剤に共通してみられる白血球減少作用の全然認められないこと、ワクチン注射によって、局所所見の軽快ないし全身状態の好転をみることなどを考慮にいれると、ワクチンすなわち結核菌体抽出物質は、その作用機序はともかく特殊の抗腫瘍性物質として臨床的に使用してみる価値があるように思われる。
つぎに、本研究について、結核菌以外の抗酸菌あるいはその他の桿菌の菌体抽出物質による対照実験は行なっていない。この点はわれわれの実験の不充分なところであるが、今後の研究において明らかにしていきたいと思う。



6.総括

 われわれは結核ワクチン(結核菌体抽出物質)を使用して皮膚結核症(昭和19〜41)、肺結核症(昭和28〜41)ならびにハンセン病(昭和26〜41)の治療を試みた結果、ワクチンに化学療法剤に求められないような治効作用のあることを確認することができた。
 その後、昭和38年水野・吉田両氏によって結核ワクチンが酒さに対し卓効を奏することが報告されたが、その際氏らは本ワクチンに抗肉芽腫作用のあることを指摘した。また、桜根氏らもワクチンが酒さにきわめて有効であることを認めている。つづいて、水野・小林、野中・中島氏らによって本ワクチンがWegener’s granulomatosis (進行性壊疽性鼻炎)に、また原田・福本によって淋巴球腫にも有効なことが報告された。
われわれもまた結核ワクチンを良性ならびに悪性腫瘍の治療に応用しようと企て、実験をかさねた結果、ワクチンが尋常性疣贅、青年性扁平疣贅、疣贅状表皮発育異常症(癌前駆症)および皮膚癌等の患者に対し治効作用を示すこと、いいかえれば、ワクチンに組織細胞の異常増殖を抑制する作用のあることをほぼ推定することができた。

 以上がこれまでの研究経過の概略であるが、結核ワクチンを臨床的に使用した場合、副作用が全くなく、多くの制癌剤に共通して診られる白血球減少作用も全然認められない上に、局所所見の軽快ないし全身状態の好転をみるなどの点を考慮すると、われわれのワクチンすなわち結核菌体抽出物質はある程度有効かつ安全な抗腫瘍性物質であるといってよいように思う。



7.付記

 本ワクチン(結核菌体抽出物質)は協同研究者の努力によって、少数例ながら急性淋巴性白血病、肺癌、食道癌、胃癌、直腸癌等にも有効なことが判明しているが、さらに症例を追加して治療効果を検討中である。文献は論文2参照のこと。



*日本医科大学皮膚科教室(主任丸山千里教授)
昭和41年5月20日受付特掲

8.文献

  1. 丸山千里:日皮会誌、74、139、昭39.
  2. 塩沢富美子:同誌、74、170、昭39.
  3. 飯田康衛、平井敏之、浦辺清道、福本寅雄:同誌、74、165、昭39.
  4. 丸山千里、渡辺芳子、本田光芳、硲 省吾:同誌、74、174、昭39.
  5. 水野信行、石橋康正、北郷 修:同誌、74、207、昭39.
  6. 水野信行、小林明博:皮膚臨床臨時増刊、139、昭36.
  7. 原田誠一、福本寅雄:臨床皮泌、20、14、昭41.
  8. 水野信行、吉田実夫:日皮会誌、74、190、昭39.
  9. 桜根好之助、桜根忠弘:皮膚臨床、6、834、昭39.
  10. 福士勝成、李 泰仁、佐々木紀典、丸山孝士:日本病理学会誌,53、総会号 121、昭39.
  11. 福士勝成、佐々木紀典、菅井健治:国立多摩研究所研究業績集16、昭40.
  12. 野中康弘、中島重隆:耳鼻咽喉科、36、1019、昭39.

※ 注a〜cは、転載にあたり、当ホームページが一般の読者を念頭に付記したものです。
 注a:一般的には赤鼻と呼ばれる症状
 注b:いぼ
 注c:大規模なにきび