講演会(ご案内・ご報告)

第4回講演会

プログラム3
「丸山ワクチンの臨床経験より」
日本赤十字看護大学客員教授
NPO法人ジャパン・ウェルネス理事長:竹中 文良


1.丸山ワクチンとの出会い

竹中 文良  竹中です。よろしくお願いします。(拍手)
 私はちょうど50年前、まだ医学生だったころ、この丸山ワクチンをつくられた丸山教授の講義なり指導を受けたことがございます。私どもの年になりますと新しいことはすぐ忘れてしまうのですけれども、昔のことははっきり頭に浮かぶものでして、私は丸山教授が講義の中でご自分がつくられた丸山ワクチンのことについていろいろ話していただいたことを今でも記憶しております。私は丸山ワクチンを専門に研究しているわけではありませんので、何かそこに大きなミスがありましたらご指摘いただければと思います。

 最初に丸山教授がおっしゃったのは、その当時、丸山ワクチンをがんに使うという最初の思いつきというのはハンセン病ってご存じですね、癩病のこと、ハンセン病とかそれから皮膚結核の患者さんにはどうもがんが少ないのだと、そういうものに対して治療しているのをがんに振り向けてみたいということを、まずおっしゃっておられました。
 それからハンセン病の中で腫瘤形成型と、癩病でグーッと盛り上がってきたりというような状況の写真、そういうことをごらんになった方はおそらくご記憶があるかと思いますが、隆起型のものに丸山ワクチンを使うとその隆起が縮小するということをおっしゃっておられました。だからがんでも腫瘤形成の勢いをとめられるのではないかと言っておられたのを記憶しております。
 それからもう一つは、当時、病理の教授で吉井先生という方がおられまして、その方が丸山ワクチンを使った患者さんの病理の検討をしておられました。そしてどうも丸山ワクチンを使った患者さんにはコラーゲンの増殖作用、いわゆるがん細胞の回りに線維層というかコラーゲンがずっと増殖してがんを封じ込めるというような働きがあるように思うと、これは吉井先生のお話の中で私が記憶に残っているものですけれども。これと同じような所見をお話になっておられた病理の先生が何人かおられました。それも何となく私は記憶しております。
 私は、日本医大は出たのですけれども、そのまま日赤医療センターの方へ行ってしまいましたので、実はその後、丸山先生とあまりコンタクトする機会はなかったのですが、そのころから丸山ワクチンというのは非常に大勢の方に使われるようになりました。ただ、当時の外科というかがん医療というのはあくまでがんを徹底的に撲滅するということに向かっておりまして、がんの免疫療法というような考え方はほとんどありませんでした。したがって、そのグループの中で丸山ワクチンを使うというのはかなり抵抗のある医療行為で、その当時、がんの専門のドクターに丸山ワクチンを使いたいと申し出た患者さんたちの多くは、いや、あれは全然意味がないんだというようなことを説得されたという話はたくさん聞きました。ただ、私は丸山ワクチンというもの、丸山先生を通じて知った丸山ワクチンというのは何かこう魅力を感じておりましたのでときどき、私自身から薦めたことはないのですが、患者さんが丸山ワクチンを打ってほしいという希望の出た方には積極的に丸山ワクチンを使うようにしておりました。その中で非常に印象に残る方々の症例をちょっと紹介してみようかと思います。



2.丸山ワクチン使用症例

(1)乳がん

 この方は今アメリカにおられまして、この発表の了承を得られていないのですが、この方は35歳のときに右乳がんの手術をして、半年後に左の頚部に再発しました。これは非常に複雑な経緯で私と同じ病院の仲間です。私と系列の違う外科の方が乳がんの手術をして、そして再発したのです。再発であるのは病理検査で確認されました。その時、患者さんは主治医に対して丸山ワクチンを使ってくれといったけれども使ってくれない、それである人を通じて、ご主人と一緒に来られて、「私は丸山ワクチンにすべてをかけるから使ってくれ」と言われました。私も他の医師の患者さんですから非常にやりにくいのですが、あまりに熱心なものですからそのドクターとかけあいまして、丸山ワクチンだけを使い始めたのです。
 それから約15年ほど継続しました。その後再発の兆候も何もなくて丸山ワクチンだけで66歳の現在、米国で健在でカードとか何かのご挨拶はいただいております。ただ、これが本当に丸山ワクチンが効いたのかどうかといわれると、これは私もはっきりした確信は持てないのですけれども。いずれにしろ右の乳がんを手術して、頚部のリンパ腺に再発したケースに対して当然行うべきは放射線療法であったりホルモン療法であったり、抗ガン剤の療法を全く使わないで丸山ワクチンだけで単独できたというところで、何か効いたのではないかという気持ちをもったままでこのまま過ぎていたわけです。


(2)直腸がんから肝転移、肺転移

 この方は実は有名な方で、関原健夫さんという方で『がん六回、人生全快』という本をご自分で書いておられます。38歳のときに米国で直腸がんの手術をして、41歳のときに帰国をして調べたらがんセンターで肝転移が見つかり、そのときに幕内教授にやっていただいたようです。教授は若く40歳前後だったそうですが、そのときに肝転移を切除すると同時におなかを開けてみたら、おなかのリンパ腺がそのまま放置されてあったのでそれも切除した。そしてそれから2年後、また肝転移を起こして、そして再切除した。それから半年後に今度は左の肺の転移が見つかってそれも切除した。それから今度は2年後、45歳のときに左の肺にまた転移して切除して、右肺にも転移してそれを切除したと。これだけのがんを抗がん剤を使うことなく次から次へと切除されたのですけれども、その経緯は朝日文庫の中に詳しく書かれてございます。非常に興味のあるケースなのですが、この方は私、直接存じ上げている方なので、ここでお話することをご了承を得ております。
 この方はこの本にも書いておられますけれども、最後の手術の後、丸山ワクチンを10年間使ってその後再発はしておりません。ただ、再発しない理由が丸山ワクチンが効いたのか、それともいわゆるもうこれで転移を全部取りきれたのかということの確証は得ておりません。だから何とも……この本にも丸山ワクチンが効いたというと、みんな丸山ワクチンに殺到するかもしれないけれども、それをはっきり言えないのだというようなことを書いておられます。でも、今も私ときどきお会いするのですけれども、非常にお元気で62歳でもある会社の社長をしておられます。
 ただ、それでは直腸がんで肝臓に転移したケース、しかも肝臓に転移して、さらに肺に転移したようなケースというのはどういう経過をとるのかというのがこの本の後ろの方に載っておりますけれども、大体がんセンターで直腸がんから肝転移したケースというのは500例を超すそうです。その中でさらに多発性に肺転移を起こして切除して、そして健在というのはほとんどおられない。これを執刀なさった幕内教授などには、要するに億の宝くじに何回も当ったくらいあなたは運のいい人だと言われていますというふうにおっしゃっております。だからこれも丸山ワクチンのせいかどうかはわからないのですけれども、この経過の中で丸山ワクチンが10年間使われたという実績がありましたので、報告しました。


(3)胃がんから肝転移

 この方は私の患者ですが、61歳で胃がんで全摘しまして、その後ずっとフォローしておりましたら62歳のときに肝臓に1.5センチぐらいの転移が見つかったのです。この方はご自分でも本を書いておられますので……はっきり言いますと京都の大徳寺の管長をしておられました福富雪底さんなのですが、この方は私の外来に来られて私が肝臓に転移しましたと、いかがいたしましょうかと申し上げたら、「このままでいきましょうかい」とおっしゃったんですね。あんな禅僧の最高僧のお坊さんが「このままでいきましょうかい」とおっしゃった以上はがんと運命をともにするんだなと私は……これも早とちりだったのですけれども、そう思いまして、そしてそのまま経過を見ておりました。
 そうしましたら徐々に徐々に大きくなりまして、64歳のときにはちょうどその転移が10センチを超えて、そして強烈に痛くなってきたと、それで何とかしてくれということをおっしゃった。私は一応外科の医局のカンファレンスにもかけたのですが、全員から反対されました。2年間も放置しておいた転移をいまさら手術して開腹してどうなるものではないだろうと言ったのですけれども、私ももうここまできたら外科医の決断だと思って、この方のおなかを開けましたら、そしたら右葉に10センチぐらいの転移があって、それが右の横隔膜に浸潤しておりました。私は右の肝の右葉切除と横隔膜を全部取って、そして手術を終えたあとで今度は多分横隔膜の代わりにする胸腔と・腹腔を遮断するものがないものですから、でもおそらく半年か1年以内に再発するであろうと思ったので、右の腎臓を剥がしまして、それを横隔膜の代わりにしました。そして大徳寺の管長は独身なので、お弟子さんのお坊さんにおそらく半年か1年だと思うから大事にしてあげてくださいということで手術を終えました。
 ところがそれから実に二十何年、この方は60歳のときに管長になられまして、そして80歳を超すまで大徳寺の管長を務めておられて、あの由緒ある大徳寺の管長580代ぐらい入れ替わっている中で、管長在職最高記録をつくったという方です。昨年85歳で肺炎で亡くなられましたけれども、それにしてもこの方は腫瘍を取ったあと、お弟子さんたちから何か治療法はないのかという相談を受けまして、そのときにもうかなり弱っておられましたので、これで抗がん剤を使ったらかえって命を縮めるだろうと、もしやるのだったら丸山ワクチンぐらいかなというふうに申し上げたら、じゃあ、丸山ワクチンにしてくださいということで、それから15年間ずっと継続をしておりました。この人は腹腔もそうですけれども胸腔の方にもがんの飛び火があったので、おそらくこれはまず間違いなしに半年か1年で再発して終わるなという症例だったのですけれども、非常にラッキーな経過でそのまま何事もなく経過したということがございました。


(4)腎がんから肺転移

 次に、この方は私もよくわからないのですけれども、左の腎がんで54歳のときに腎がんがみつかると同時に多発性の肺転移がみつかりまして、これは腎がんだったので最初にインターフェロンを使ったようです。ところがインターフェロンで肝機能がガンと落ちて、これでは肝機能がいかれるということで丸山ワクチンにしまして、その後ずっと持続しています。この方は途中で左の腎臓への栓塞療法、動脈を塞いでがんを縮小するという手術というか一種の操作は行ってがんは非常に小さくなったそうですけれども、でも今でも多発性の肺転移はほとんど変わりなく今もお元気で、きょうもお見えになっておられるようです。この方もほかに何もやっていないわけですから、丸山ワクチンが効いたのかなと、こういうふうに思わざるを得ないケースです。


(5)私自身のがん体験と抗がん剤について

 私どもは実はこういうケース何例か経験しているのですが、ただ、ご存じのように医学的な証明のためには、はっきりした比較試験、いわゆる使わなかったときと使ったときということの比較が明確にないと、これは医学的に有効だという証拠にならないわけです。これが非常に難しいところで、私は20年前にまだ現職の外科医だったときに大腸がんにかかって、その手術を受けたあとで抗がん剤を飲まされた。私はその抗がん剤を飮むとすぐムカムカして食欲がなくなるので、そのときいろんなことを調べてみたのです。全国、世界中の文献を調べたのですけれども、当時大腸がんに有効な抗がん剤はないということがどうやらはっきりしたので、それで私はそこで……そうですね、1カ月でもうやめてしまいまして、それで一切使わなかったのです。
 ちょうど7年前ですか『がんから始まる』という本を書かれた岸本葉子さんというエッセイストがおられます。この方がちょっと具合が悪いということで私がみております赤坂のクリニックに見えまして、そこで内視鏡で大腸がんと診断をして日赤で手術をしたのです。その後、わりと進んでいたがんなので、いわゆる抗がん剤、UFTを出された。それで私のところへ相談に見えたのですが、これは飲んだ方がいいのか、飲まなくてもいいのかどっちだと先生思うかと私に質問された。私も自分ならば、まあ、これでいいんだという結論は簡単に出せるのですけれども、ほかの人の場合は非常に難しいので、じゃあ、私が勝手に判断してもし何かあったらいけないから国立がんセンターの腫瘍科の部長に聞いてみましょうといって、今までの経緯と、そしてどう思うかということで岸本さんを紹介したのです。
 それから三、四日たって帰られまして、紹介したDrからの返事を読みますと、「先生もご存じのように大腸がんの術後に抗がん剤が効くか効かないかという医学的な結論はまだ出ておりませんと、したがって今私は岸本さんが抗がん剤を飲んだ方がいいのか、飲まない方がいいのかということはわかりませんと、お二人でよくご相談ください」と。それで私も「岸本さん、どうする」と言ったら、先生もやめたのだから私もやめますということでやめて、もう7年になりますが、お元気です。
 ただ、最近、大腸がんの抗がん剤が非常に有効になったということですけれども、どれくらい効果がふえたのかと、調べてみたのですが、はっきりした結論が出なかった。そうしましたらこの前、大腸がんのセミナーがありまして、がん研の武藤院長が座長で私もシンポジストで出たのですけれども、1,000人ぐらいの観客がおられまして、その中から非常に興味深い質問がありました。
 その1つは、大腸がんにならない食事療法は何かということ。もう1つは、手術のあとで医師からもらう抗がん剤というのはどのくらい効くのかという2つの質問が出たのです。それに対して京都府立の教授と北里の教授がそれぞれ大腸がんの専門家として出ておられたのですけれども、その方のお答えでは、最初に食事とか何かで大腸がんになるのを防ぐという方法は食事の選択ではほとんどないと。かろうじて生活の中で多少有効だと思うのはウォーキング、歩くことだというのです。これはどういうことかというと、歩くことによって腸の運動が亢進するし、便秘が改善されるしというような意味だろうと思うのですけれども、いずれにしろ、はっきりしたそういうものはないということが1つです。
 それからもう1つは、最近いろんな抗がん剤で、テレビなどを見ると、がんが再発しようと何しようと医師と薬がよければそれで治るようなことを言っておりますけれども、大腸がん術後の抗がん効果、手術した患者がクスリで再発を防ぐ確率は医学的な検討では6%だそうです。100人それをやって、その抗がん剤のおかげで再発しなかったというのは6人しかいないということです。つまり今でもその程度のことしか明らかにされておりません。そこが問題でして、それでは大腸がんのあとで医師たちは抗がん剤を使わないのかというと、やっぱり使っているのです。それはたとえ100人のうち6人でもその抗がん剤を飲んでいたおかげで再発しなければ、その人たちにとってはよかったじゃないかということです。だから何というか……どこまで効くんだというような、医師と薬さえよければ何でも効くんだということをあまり過信しない方がいいというふうに思っております。
 結局、私の丸山ワクチンに関する知識というのはその程度のもので、今でも私は患者さん自身が丸山ワクチンを使ってみたいとおっしゃる患者さんがいれば、積極的にそれを使うようにしております。



3.NPO法人ジャパンウェルネスについて

 これは私が実は7年前からがん患者を支援するためのジャパンウエルネスというサポートシステムを始めたのですけれども、そのサポートシステムの基本的な考え方として、医学的な治療はもちろんですけれども、代替療法というか補助療法として使うのは患者さんの希望があれば、特に有害なものでなければ患者さんの選択に任せるというのが Wellness Communityという私が所属する世界的ながん患者支援グループの方針なのです。そこでそういう方針を立てているので、私も積極的にそういうことに参画しているつもりです。ちょっとそのウェルネスのご紹介をしておきたいと思います。
 これはアメリカで約25年ぐらい前に開発されたもので、要するにさまざまながんの患者さんを集めていろんな支援をやっているわけですけれども、一番のメインはグループ療法と呼ばれる方法です。これは細かく説明する時間がないのですが……。


(1)グループ療法

 グループ療法というのは、大体七、八人から10人ぐらいのがん患者さんを集めて、そこで心理療法士が司会に立って、自由にフリートーキングで話していただきます。これはがんになってみないとわからないところもあるのですが、私は20年前とちょうど2年前に今度は肝臓がんになって手術を受けているので、その辺のところは多少理解できます。がん患者さん同士が話し合うということが、非常に心の癒しというか、気持ちを立て直す上に非常に大事な部分なのです。私たちはこれをメインにしておりまして、この7年間で今のところ1,350名ほどのがん患者さんが参加してくださっています。これは国立がんセンター、がん研とかそういうところからが半分ぐらい、あとはもうさまざまな病院から来られます。
 このグループ療法というものの意義ですけれども、今お話ししたように本音で語れる、がん患者同士だからできる話が大切なのです。ノーマン・カズン氏と言う方がおられますが、彼は重症筋無力症にかかったアメリカのジャーナリストなのですけれども、この方が心理的なサポートの効果ということを前から提言されておられます。それからアナザーファミリー(もう一つの家族)というのはアメリカのウエルネス・コミュニティでは家族の間でも話し合えないようなことがグループの中で話し合えると、それが自分らしさというか生きる意欲につながるんだということを言っておられます。
 ノーマン・カズン氏の提言というのは、医師の最大の任務は病気に対する心身両面の自然の抵抗力を総動員させることにあると。人間の精神と肉体が非常な困難に遭遇したとき、どのようにして潛む力を奮い起こさせるかを考える。たとえ病気が全く絶望的だと思われるときでも人間の再生能力を過小評価してはならないと言っておられます。この方はほぼ治らないといわれていた筋無力症から立ち直って、それでまたジャーナリストに戻ったというすばらしい経験の持ち主です。


(2)補完療法

 このほかに補完療法というのをやっているのですが、これは自立訓練、座禅、ヨーガ、アロマテラピーなどで、これ等の方法を通じて心の安定を計る方法です。がん対策基本法というのが厚生労働省から昨年出ましたが、これはがん患者さんにどう対応するかといういろんな方法が提案されております。問題はがん患者さんの気持ちというか自分らしさをどうやって保ち続けるかということが非常に大事なことで、そういう意味でこの補完療法は重要な意味を持っていると、私は思っております。
 これは補完療法の一つで坐禅です。京都の大徳寺の松濤諦雲さんとおっしゃるお寺の僧侶にやって戴いております。そのほか自律訓練法、アロマとかヨーガとかやっております。
 これはセカンドオピニオンなのですが、普通セカンドオピニオンはもうどこの病院でもやっているのですが、私たちはがん患者さんたちの話を聞いている間にどうも病気の話ばかりではなく、もう治療法もなくなった、あとはあなたが残り少ない命をどうやって生きるか考えなさいと言われ、それを相談に来るとかいろんな方がおられます。そこで私たちは緩和ケアの専門医と外科の専門医、そしてがんを体験した医師ということで私と3人で対応しております。これで水曜日と金曜日と2回やっています。
 これはちょっと前ので相談件数857件、今はもう1,000名近くなっております。
 相談内容は治療方法の選択、病院と医師との関係とかいろいろございます。ただ、死生観とかそういうものの相談がふえてきたことは確かです。
 年間プログラムは講演会とかパーティとか温泉旅行とかいろんなことをやっております。
 このウエルネス・コミュニティというグループは今アメリカ全土に二十何カ所、イギリスに3カ所、それからフィリピンや日本、イスラエルといろんなところに展開しております。どのグループでもそうですけれども大体女性の方が多いのですが、我々のグループでも女性の方が多くて男性の方がちょっと少ないです。
 しかも女性は乳がんが若い人が多いせいかもわかりませんが、女性は50歳代が一番多くて、男性は60歳代が多いというふうになっています。
 会員の罹患部位は統計にも出ているように肺がん、胃がん、乳がん、大腸がんといったものが多数を占めております。


(3)がん患者と共にルルドを訪れた体験

 これは3年前ですが、患者さんのルルドに行きたいという要望がありましたので、ルルドに旅行に行ってみました。ルルドというところはフランスのピレネー山脈のふもとにある人口2万から3万ぐらいの小さな町なのですけれども、ここへ来る巡礼者というかお参りに来る方が大体年間500万人を超すといわれるぐらいの場所なのです。私たちにとってこれは非常に印象に残る旅をしてまいりました。
 ローソクを灯して賛美歌にあわせて回ったり、あとは沐浴したりいろいろなことを経験しました。
 この中で私が非常に印象深かったのは23名のがん患者さんたちの中で、男性2名、女性3名の方が末期がんでした。これは成田ではっきり皆さんの前でおっしゃったのですが、このうち3名はモルヒネを常用して、あとは強力な鎮痛剤を常用されていました。私はこの方々に対して現地で何があってもあわてないようにということをご家族にも念をおしておりましたので、そのまま向こうへ行って、向こうのルールに従って沐浴をしたり、それから夜にローソクを灯し大勢の仲間達と庭を回ったりしたのですけれども、2日目から3日目ぐらいからこの末期の方たち全員、鎮痛剤をやめました。
 私は、これは非常に宗教的な色彩の強いところでそういうものが関係しているのかなと思ったのと、あとは沐浴自体が、私自身もはっきりと明確に記憶できないような、素っ裸にして2度ぐらいの冷たい氷の中へパーッと入れて、アッと思ったときはもう外へ出しているというようなことをやるのですけれども、そういうことを毎日この人たちが経験することによって、こういうことが起きたのかどうか。これは下に書いてありますけれども、肺がん手術が不能だった人とか直腸がんの肝転移、がん性肝転移で手術ができないとか膵臓がんの術後再発とか、大腸がんでがん性腹膜炎とか、それから大腸がんで胸部縦隔に転移しているという医学的にはもう打つ手がないという方々ですが、この方々が現地で何も使わなくても大丈夫だという状況になったのです。
 私はそのとき、皆さんを見ながら、おそらくこれはルルドにいる間だけだろうと、日本へ帰ったらまたすぐ痛みが出てくると思ったのです。そして日本へ帰ってそれから3週後にもう一遍集まっていただいたら、まだだれも鎮痛剤を使っていなかった。で、ちょっとびっくりしてこれは奇跡でも起きるのかと思いましたけれども、それはなくてこの5人とも1年以内に全員他界されました。ですけれども、やっぱり精神的なこういうものというのは非常に大きいという印象を受けております。

 がんというのはかかってみるとわかりますけれども、さまざまな情報が乱れ飛んで、これはまるでナイアガラの滝の滝壺の方へ小さな船で乗っていき、ものすごいしぶきを浴びながら、しかも轟音の中をくぐり抜けていくという状況の中で、自分をどう立て直していくかというのが非常に大事なところになるわけです。そういう意味で私どもはこのジャパン・ウェルネスというシステムの中で、このウェルネスの基本的な用語というのはペーシェントアクティブという言葉なのです。患者さんのいわゆる気持ちをできるだけアクティブにもっていきたいというふうに考えております。そしてこれはアメリカでもイギリスでもそうですけれども世界中でこのウェルネス・コミュニティというシステムはがん患者さんには一切無料でやっております。ことし25周年でアメリカで記念のパーティがありました。
 日本は私が7年前にこれを向こうで見学してきて実習を受けて、これを立ち上げるときに向こうのベンジャミンという開発者から絶対金をとってはいかんと言われたのです。で、日本へ帰ってきていろんなところで相談をしたら、日本ではそれは絶対できないと、そんなもの金をとらなかったらおそらく1年か2年でポシャるよと言われて、しようがないから当時あけぼの会のワットさんに聞いたら、やっぱり年間費5,000円ぐらいはしようがないんじゃないということで、それを取り始めて今まだ年間5,000円の会費をとっております。ただ、それについて去年アメリカで日本は何でまだ会費を取り続けているのかということで、皆さんからクレームがついたことなのですけれども。
 この会ができ上がったばかりの、まだ3カ月目ぐらいだったころにがんセンターでこれの報告をしたのです。その当時、阿部先生が総長でしたが、「竹中さん、それは非常にいい試みだし、ぜひ必要だと思うけれども、あなたのやっている今の姿勢で何年もつと思いますか」と、大勢の中で質問されたのです。最初は私の自己資金で始めましたから2年は寄付金でいけるでしょうと、3年もてば何とか継続していけるのではないかと思いますというふうに答えて、ことしで7年になります。だからよくもったなと思う反面、これからどうやって続けていくかということが大きな課題になっていることも確かです。でも、何となくこのまま継続していけるのではないかと、そういう希望をもってできるだけがん患者さんたちの要望に応えるようなシステムをつくっていきたいと、そう考えております。
 以上で大体しゃべりたいことはしゃべりましたので、終わらせていただきます。(拍手)