講演会(ご案内・ご報告)

第1回講演会

プログラム2
記念講演
「癌の免疫療法:丸山ワクチンの作用機序に関する一考察」
日本医科大学医学会雑誌 2;65〜66 2006
(日本医科大学医学会-転載許可済)

日本医科大学教授:高橋 秀実先生


日本医科大学教授:高橋 秀実先生  皮膚科の教授でいらっしゃった故丸山千里先生は、多くの皮膚結核患者を観察された結果、「結核菌の感染者は非感染者に比較し癌の発生が少ない」ということを洞察され、結核菌の中から抗腫瘍作用を有する成分の摘出に着手された。その際、生体にとって副作用を有するような成分として生体反応の誘発性が高い蛋白成分、ならびに非水溶性の成分の混入をできるだけ防ぐことが重要と考えられ、独自に開発された熱水摘出法により結核菌からの有効成分を採取されました。

 私は現在日本医科大学付属病院の東洋医学科部長を兼務致しておりますが、まさにこの方法は結核菌を煎ずることと同様の手法であり、どうして丸山先生がこうした摘出方法により抗腫瘍作用を有する成分が得られると考えられたのか、誠に不思議な気持ちでおります。一般に、沸騰という加熱処理により蛋白成分は凝固除去されますので、得られた摘出成分は水溶性の脂質、糖、アルカノイドを主体とするものであろうと考えられます。先生はこうした成分を癌患者さんに投与され、その患者さんの状態や腫瘍の大きさなどを詳細に追跡することによって、その有効性を確信されていったのだと思われます。
 しかしながら、患者さんに対する臨床的な効果とは裏腹に、先生が摘出された有効成分に対するはっきりとした科学的な実証は得られず、正直なところ社会的な薬剤としての認知を受けることができないまま今日に至ってしまったのが現状だと思います。その効果はおそらく体内の免疫システムの活性化を主体としたものであろうとの仮説から、これまで夥しい研究が本邦のみならず世界各地でなされたものと想像されますが、残念ながらこれといった作用機序を見出すには至っておりませんでした。
 そのような中、今からおよそ10年ほど前から、私どもの免疫システムが体内と体表面では異なっていることが次第に明らかとなって参りました。免疫システムの研究が元来血清学に端んを発したためであろうかと思いますが、これまでの研究成果はその大半が血液中の抗体やリンパ球の作用を解析したものでした。この血液中の免疫システムは、粘膜や皮膚などの体表面に構築された、言わば第一次バリアーを超えて体内に侵入した異物の再度の侵入を備える機能を有しており、初回侵入を受けた異物の蛋白構造に対する記憶を形成するため「獲得免疫(acquired immunity)」と呼ばれています。それに対し、体表面に構築された免疫システムは、侵入異物をいち早くキャッチしその情報を体表面全体に知らせ警戒網を張り巡らせるとともに、それら異物を速やかに排除する機能を有しており、一般的に異物に対する記憶形成をする力は持っておりません。この記憶形成能のない先天的な体表面のバリアーを形成する免疫システムを「自然免疫(innateimmunity)」と呼んでいます。
 21世紀に入り、こうした「自然免疫」を担う細胞群の実態が少しずつ解明され、異物の様々な表面分子の特徴をその表面の特殊なToll-like receptor (TLR)と呼ばれるレセプターによって識別する樹状細胞(dendritic cell:DC)群、粘膜表面のM (microfold)細胞を介して侵入したウイルス感染細胞や癌細胞表面に認められるニキビとも言うべきコレステロールなどの細胞代謝産物群を認識しそれらの制御にあたるγδT細胞と呼ばれる特殊なリンパ球群、そしてCD1dと呼ばれる特殊な異物情報を教える分子から提示された脂質抗原によって活性化し癌細胞の監視にあたるナチュラルキラーT細胞(NKT細胞:血液中に認められるナチュラルキラー(NK)細胞とは全く異なる細胞群)などからなることが分かってきました(図1)。


図1 免疫システムの二重構造


 このように、私たちの免疫システムは体内を循環し侵入異物の蛋白抗原を特異的に認識排除する「獲得免疫」と、体表面に局在し異物の表面に発現した糖質や脂質の特性を認識しその排除を担う「自然免疫」の二重構造から構築されていることが分かってきました。これまでは、癌細胞を体内の異物であるとの観点からその異物排除に関わる「獲得免疫」システムに丸山ワクチンがどのように影響を与えるかについてのみ研究が進められ、「自然免疫」システムへの影響は全く研究されてきませんでした。また、この「自然免疫」システムは、ヒトの間でのみ共通でありマウスなどの実験動物では全く別個のシステムとなっていることも明らかとなってきました。従って、ヒトへの感染力を有するもののマウスへの感染力を持たないヒト型結核菌から摘出した丸山ワクチンの効果をマウスを用いて検討することは恐らく不可能でありましょう。


図2 丸山ワクチンによる自然免疫の活性化


 一方図2に示したように、丸山ワクチンの原材料であるヒト型結核菌には、TLRを介して樹状細胞を活性化する可能性のある糖脂質であるリポアラビノマンナン(LAM)やペプチドグリカン(PG)などが発現しているとともに、アルキルピロリン酸などのγδT細胞活性化アルカロイドが分泌されていることやCDI分子によって提示されるミコール酸やマイコバクチンといった脂質群が含有されていることが最近明らかとなってきました。私どもは6〜7年前より、こうした結核菌由来の脂質・アルカノイドならびに糖脂質が、ヒトの樹状細胞やγδT細胞、NKT細胞などの「自然免疫」を担う細胞群に対して及ぼす影響について観察を続けてきましたが、まさに丸山ワクチンはこうした「自然免疫」システムの担当細胞群を活性化する分子の複合体であるものと考えております。残念ながらこうした「自然免疫」を構成する細胞群は、血液中のリンパ球群に比べ採取およびその増殖・維持が遥かに困難であるため、研究の進展速度はゆっくりとしたものではありますが、一歩ずつ着実に丸山ワクチンの真の作用機序を解明できるものと確信致しております。
 最後になりますが、こうした体表面に張り巡らされた「自然免疫」の実態を当時は全くご存じなかったであろう丸山先生が、ワクチンを投与する際には筋肉注射ではなく、比較的浅い部位への皮下注射を経験的に指示された観察力、そしてこうした「自然免疫」システムは記憶を形成しないことに気付かれワクチンを頻回(1日おき程度)投与しなければならないとした洞察力には心から敬意を表するものであります。何度も「単なる水に過ぎない」との冷ややかな言葉にもめげず、ワクチンの投与を受けた患者さんの状態や反応を頼りに自らの信ずる道を進まれた先生は、21世紀となった現在再び我々の前に現れ、真の医学者・医療者のあるべき姿をお示し下さっている気が致します。丸山ワクチンの示した光が、多くの癌に苦しむ人々に福音となることを心から願う次第です。